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 H8〜10H11〜13H14〜19

 

 

 




   


・文部省科学研究費・国際学術研究 平成5〜7年度「アジアの歴史的建造物の修復・保存方法に関する基礎的研究
  −南アジアと東南アジアの比較を通して−」研究代表者・中川武(早稲田大学教授)
・文部省科学研究費・国際学術研究 平成8〜10年度「ヴィエトナム・フエ・グエン朝王宮の復原及び修復・保存方
  法に関する基礎的研究」研究代表者・中川武(早稲田大学教授)
・文部省科学研究費・基盤研究(A) 平成11〜13年度「勤政殿の復原的研究(ヴィエトナム・フエ・グエン朝王宮
  の修復・保存方法に関する基礎的研究)」研究代表者・中川武(早稲田大学教授)
・文部省科学研究費・基盤研究(A) 平成14年度「乾政宮の復原的研究―ユネスコ世界遺産・フエの歴史的建造物
  群の保全計画―」研究代表者・中川武(早稲田大学教授)
・文部省科学研究費・基盤研究(S) 平成15〜19年度「乾政宮の復原的研究―ユネスコ世界遺産・フエの歴史的建
  造物群の保全計画―」研究代表者・中川武(早稲田大学教授)



平成8〜10年度
研究の目的

 本研究は,ヴィエトナム・フエ・グエン朝王宮の変遷の過程を建築歴史学の観点から捉えることを第一とし,あわせてフエ遺跡群の復原研究に必要な学術資料の収集を継続的に進めることを目的としている。 この一連の調査・研究活動は,フエ遺跡群の直接の管理組織であるトゥアティエン-フエ省所管の故都フエ遺跡保存センターとの国際学術研究として進められている。
 復原考察は,宮殿建築群の構造・形式,様式的分類の他,建築の本質に関わる建築理念,設計方法,生産組織と施工技術に着目して,それらを個別に解明,比較考察することによって初めて得られる宮殿建築の特質を明らかにすることを目的としている。
 また,修復・保存の方法論の確立には,現地の遺跡管理者−研究者−伝統的技術保持者(フエ遺跡群の修理工事に携わる種々の職人)が連携できる総合的なプログラムの確立が必須の課題であり,近い将来,そのような観点に立脚した修復保存事業に資するよう計画した。

研究計画の必要性及び期待できる成果

 現在,アジア地域の多くの都市に共通に見られる課題には,近代化を前提とした急速な開発によってもたらされた各国固有な伝統文化の喪失が挙げられる。固有な文化の維持・継承・保存という問題は,単に各国内の課題として解決されるものではなく国際的な共同作業によって成される必要のあるものが多々あるが,とりわけ,歴史的建造物等に代表される文化遺産の修復・保存事業には,より総合的観点に立脚した研究体制の組織化が必要である。
 本研究が強く望まれている理由及びその背景を以下に記す。

1. ヴィエトナム戦争後,四半世紀を迎えたヴィエトナムは,その社会全般において,ようやく政治的な安定と秩序の回復が見られるようになった。そのような社会背景を踏まえて,文化的事業を進める上での基盤がヴィエトナム政府文化情報省を中心に整備されつつあり,既にいくつかの修復保存事業が進行中である。
 
2. 本研究についてのヴィエトナムの研究組織(トゥアティエン-フエ省所管の故都フエ遺跡保存センター,Hue Monuments Conservation Center,以下HMCCと省略)は,フエ遺跡群のほとんど全ての修理工事に実質的に関与しており,海外,特に木造建築物に関する修復保存技術に長けている我国の研究組織との共同研究を嘱望している。特に復原事業を推し進めた経験がHMCCにはなく,平城京の朱雀門や沖縄の首里城などの先行事例のある我国のこれまでの復原事業の在り方を調査・研究しながら,ヴィエトナムにおける復原事業の指針が策定されることを望んでいる。
 
3. フエの王宮は,ヴィエトナムに現存する唯一の宮殿建築群で構成された広域的な都市施設である。個々の不動文化財のみならず,歴史的環境の保全もまた重要な課題として,とりわけユネスコ主導の事業計画では重要視されている。
 また,同王宮や歴代皇帝陵を含むフエ遺跡群全域は,1993年にユネスコの世界遺産に登録されており,このことから,近年,国内のみならず海外においても,遺跡の崩壊という危機的現状が報告される機会が多くなっており,緊急に対応すべき必要性が高い。遺跡の崩壊の原因は,戦禍による被害という人為的なものから,自然災害や急速な近代化の過程によるひずみと関連した環境破壊などに移行している。
 
4. すでにユネスコを通じて,いくつかの国際共同プロジェクトが敢行されており,90年代より,王宮の正門である午門の修理工事事業など,我が国とも王宮の修復保存事業を進めた経緯があり,引き続き継続的な国際協力が望まれること。午門の修理工時では,工事費用の拠出と工事期間の節目にユネスココンサルタントを派遣することを主目的とし,修理工時に直接携わる邦人の専門家や事前の調査研究員の派遣は行われていない。本研究は,今後の事前の基礎研究の蓄積に資することを前提としている。
 
5. フエは王宮以外にも古都(王宮都市・京城)として,歴史的文化的に重要な景観と文化遺産の多くを残す地域であり,王宮はその中心的役割を担うと共に,市民の精神的支柱として強いアイデンティテイを保持していること。
 
6. 王宮は歴史的経緯からの重要性に留まらず,二度の大きな独立開放運動の激戦区として象徴される場であり,この結果,多くの王宮内の宮殿建築が焼失したという歴史的経緯が認められる。王宮を修復することは,ヴィエトナムに平和が戻ってきたことを端的に表す行為といえる。このため現場における個別の調査活動のみならず,HMCCの技術職員の我が国での研修など教育的見地からの学術の体系を整備することも試みられる必要があり,本研究はそのような前提に基づきいくつかの研修を調査研究と併行させて計画している。
 
7. 現況では,建築学的見地からの研究の歴史が浅いことから,遺跡の修復保存方法が確立されておらず,また,技術面においても必ずしも適切といえない方法が用いられている事例が少なくなく,引き続き現地組織から技術移転の要請が極めて高い。

 王宮の修復・保存作業は,現地の文化,とりわけ建築学や考古学などに最も精通した研究者を中心として,当地に最も適切な方法をもって行われるべきである。そして,長年の木造建築の研究実績に基づく調査方法,修復保存技術を有した日本の研究者が,互いに知識を交換し,実際に共同で王宮の調査の場が設けられることは,今後のヴィエトナムにおける歴史的建造物の適切な修復,保存のために,そして,学術水準の向上のために極めて有意義なことであろう。特に,その交流の糸口が開かれたばかりのヴィエトナムの研究者との共同研究を行うことによって,現地における一層の研究の発展が期待できよう。
 また,日本建築史研究にとっても,これまで蓄積が重ねられてきた成果を相対化して眺めることができるという点で多大な寄与が成されることが期待され,とりわけ「木割書」に代表される設計技術書による設計方法をアジア的広がりの枠組みの中で再評価することに繋がると考えられる。

国内外の研究状況

 初期のヴィエトナムの歴史的建造物に関する一連の研究は,19世紀中葉のフランスのインドシナ植民地政策と密接不可分なものである。とりわけ19世紀後半から20世紀前半にかけては,ハノイのフランス極東学院(EFEO)の調査員によって精力的に調査研究が進められ報告書が定期的に刊行された。我が国の研究者においては,伊東忠太により仏領東京の視察が明治45年1月8日に始まり,同年2月22日までのおよそ6週間の期間を充当している。伊東の報告は,『建築雑誌』,『東洋学報』などで行われているが,フエまで調査対象地域を広げておらず,グエン朝王宮は実見されずに止まっている。
 20世紀中葉から今日までの内外の研究状況は,ヴィエトナム民主同盟が国家の独立開放運動を展開し,その結果,国際政治の緊迫した状態が続いたため,断続的な研究報告しか成されていない。その間,ヴィエトナム人による地道な研究活動が行われていたが,本格的な国際共同研究は試みられることなく90年代を迎えた。
 しかし,近年,ヴィエトナム政府が主導する改革開放政策(いわゆるドイモイ政策)の結果,ユネスコなど国際機関を通じた保存修復事業が押し進められるようになり,フランス・カナダ・ポーランド・アメリカ・日本の専門家がそれぞれ調査研究活動から修理工事まで幅広く進めている。
 例えば,フエ王宮内においては,フランスのヴィエトナム工芸復興協会と共同でかつての劇場建築(閲是堂)の修復事業が進められている。また,京城内に残るいくつかのコロニアル建築を選定し,修復から活用に至るまでの計画がフランスのリール市が派遣した専門家の提案により実施された。一方,カナダは保存科学の専門家を長期派遣し,木材の修復保存の技術指導を顕臨閣の修理工事現場において進めている。ポーランドのPKZ(The Ateliers for Conservation of Cultural Property PKZ Ltd.)は,世祖廟のレンガ壁に残る彩色及び漆喰仕様の浮き彫りの修復事業を進めており,これは98年春に終了した。
 一方,我が国によるフエ遺跡群に関する具体的な国際協力活動としては,ユネスコ文化遺産保存日本信託基金からの拠出金を基に進められた。その他,トヨタ財団によるフエ・明命帝陵右従祠の修理工事が現地組織と共同で成され,これは98年春に一応の区切りをみせた。また,近年行われている我が国のヴィエトナム調査研究活動や文化的事業としては,昭和女子大学国際文化研究所による「日本人町ホイアン」の町並み研究と修理工事事業,東京大学生産技術研究所によるハノイ旧市街の近代建築の悉皆調査,トヨタ財団の「チャンパ王国の遺跡と文化展」の開催などが挙げられる。
 1999年には,フエ遺跡群に続き,チャンパ遺跡を代表するダナン市近郊のミソン遺跡群とホイアンの町並みが共にユネスコ世界文化遺産に登録されたが,このことと我が国の研究者の寄与によるところが大きい。



平成11〜13年度
研究の目的

 本研究はヴィエトナム・フエ・グエン朝紫禁城の主要宮殿建築である勤政殿の復原及びその基壇址の修復・保存方法に必要な学術的資料の収集を目的とし、国立フエ遺跡保存センターと共同で復原考察を行い、復原図及び復原模型の制作、勤政殿基壇址の修理保存の実施計画を策定する。復原考察は構造・形式、様式的分類の他、建築の本質に関わる建築理念、設計方法、生産組織と施工技術に着目して、それらを解明、比較考察することによって初めて得られる宮殿建築の特質を明らかにすることを目的としている。
  また、修復・保存の方法論の確立には、現地の遺跡管理者ー研究者ー職人が連携した総合的なプログラムの確立が必須の課題であり、そのような観点に立脚した修復保存事業に資するよう計画されるものである。

研究計画の必要性及び期待できる成果

 現在、アジアの多くの都市に共通に見られる課題には、急速な開発によってもたらされた各国固有な伝統文化の喪失が挙げられる。そのような文化の維持・継承・保存は、単に各国内の課題として解決されるものではなく、国際的な共同作業によって成される必要のあるものが多々あるが、とりわけ、歴史的建造物等に代表される文化遺産の修復・保存事業には、より総合的観点に立つ研究体制の組織化が必要である。このような現況の問題点を解決するための個別的事例としてヴィエトナム・フエ・グエン朝王宮の修復・保存・復原研究を計画することで、公募要領の「国際学術研究の目的」を反映させた研究を推進する。本研究が強く望まれている理由及びその背景を以下に記す。

・ヴィエトナム戦争後四半世紀を迎えつつあるヴィエトナムは、ようやく政治的な安定と秩序の回復が見られるようになった。その一環として文化的事業を進める上での基盤が整備され、既にいくつかの修復保存事業が進行中であること。

・本研究についてのヴィエトナムの研究組織はフエ遺跡の全ての修理に実質的に関与し、海外、特に木造建築物に関する修復保存技術に長けている我が国との共同研究を嘱望していること。

・フエの王宮は、ヴィエトナムに現存する唯一の宮殿建築群で構成された広域的な都市施設である。また、同王宮は1993年にユネスコの世界遺産に登録されており、このことから、近年、国内のみならず海外においても、遺跡の崩壊という危機的現状が報告される機会が多くなっており、緊急に処置すべき必要性が高いこと。

・すでにユネスコを通じて、いくつかの国際共同プロジェクトが敢行されており、90年代より我が国とも王宮の主要施設の修復保存事業を進めた経緯があること。

・フエは王宮以外にも古都(王宮都市、京城)として、歴史的文化的に重要な景観と文化遺産の多くを残す地域であり、王宮はその中心的役割を担うと共に、市民の精神的支柱となっていること。

・王宮は歴史的経緯からの重要性に留まらず、二度の大きな独立開放運動の激戦区として象徴される場であり、この結果、多くの王宮内の宮殿建築が失われた。王宮を修復することは、ヴィエトナムに平和が戻ってきたことを端的に表す行為といえること。

・現況では、建築学的見地からの研究の歴史が浅いことから遺跡の修復保存方法が確立されておらず、また、技術面においても必ずしも適切といえない方法が用いられている事例が少なくないこと。

 王宮の修復、保存作業は、現地の文化、とりわけ建築に最も精通した研究者を中心として、当地に最も適切な方法をもって行われるべきである。そして、長年の木造建築の研究実績に基づく調査方法、修復保存技術を有した日本の研究者が、互いに知識を交換し、実際に共同で王宮の調査の場が設けられることは、今後のヴィエトナムにおける歴史的建造物の適切な修復、保存のために、そして、学術水準の向上のために極めて有意義なことであろう。特に、その交流の糸口が開かれたばかりのヴィエトナムの研究者研究者との共同研究を行うことによって、現地における一層の研究の発展が期待できよう。
 また、日本建築史研究にとっても、これまで蓄積が重ねられてきた成果を相対化して眺めることができるという点で多大な寄与が成されることが期待され、とりわけ「木割書」に代表される設計技術書による設計方法をアジア的広がりの枠組みの中で再評価することに繋がると考えられる。

国内外の研究状況

 ヴィエトナムの歴史的建造物に関する研究は、19世紀中葉のフランスのインドシナ植民地政策と密接不可分なものである。とりわけ19世紀後半から20世紀前半にかけては、フランス極東学院(EFEO)の調査員によって精力的に調査研究が進められ報告書が定期的に刊行された。20世紀中葉から今日までの状況は、ヴィエトナムは国家の独立開放運動を展開し、その結果、国際政治の緊迫した状態が続き、その結果、断続的な研究報告しか成されていない。その間、ヴィエトナム人による地道な研究活動が行われていたが、本格的な国際共同研究は試みられていない。
 しかし、近年、ヴィエトナム政府が主導する改革開放政策の結果、ユネスコを通じた保存修復事業が押し進められるようになり、フランス・カナダ・ポーランド・日本の専門家がそれぞれ調査研究活動から修理工事まで幅広く進めている。フエ王宮内においては、フランスのヴィエトナム工芸復興協会と共同でかつての劇場建築の修復事業が進められている。また、都城に残るいくつかのコロニアル建築を選定し、修復から活用に至るまでの計画をユネスコ・ワーキンググループで提案した。カナダは保存科学の専門家を長期派遣し、木材の修復保存の技術指導を進めている。ポーランドのPKZは壁体に残るレリーフの修復事業を進めており、これは98年春に終了した。
 一方、我が国によるフエ遺跡に関する具体的な研究活動としては、上項に記述したユネスコ文化遺産保存日本信託基金からの拠出金をもとに進められている。その他、トヨタ財団によるフエ・明命帝陵右従祠の修理工事が共同で成され、これは98年春に一応の区切りをみせた。また、近年行われている我が国のヴィエトナム調査研究活動や文化的事業としては、昭和女子大学国際文化研究所による「日本人町ホイアン」の町並み研究と修理工事事業、東京大学生産技術研究所によるハノイ旧市街の近代建築の悉皆調査、トヨタ財団の「チャンパ王国の遺跡と文化展」の開催などが挙げられる。



平成14〜19年度
研究の目的

 本研究は,ヴィエトナム・フエ王宮の修復・保存方法の確立と再建計画事業に資する学術資料の収集を目的としている.
 現地調査はフエ遺跡保存センターとの共同作業を基盤とし,奈良文化財研究所・中国国家文物局・大韓民国国立文化財研究所などの内外の関連組織から学術情報の提供を得て進められる.主な研究項目は,乾成宮の復原図および復原模型の製作,基壇の発掘調査計画の策定とした.
 阮朝・乾成宮は,その正門である大宮門と勤政殿・乾成殿など紫禁城内の主要な宮殿建築群によって構成され(図2・図3??参照),伝統的な配置計画の規範を踏襲して南北主軸線上に置かれている.王宮の中で最も重要な場所であった.それ故,20世紀初頭のフランス人研究者が調査許可を得られず,更には,ヴィエトナム戦争の戦禍を被り焼失してしまった経緯により,これまで実測値などの一次資料が圧倒的に不足していた場所でもある.しかし,本研究に至るまでの平成6 年度からの科研費による継続研究の結果,各々の基壇部上の柱配置などの実測と床面の装飾タイル等の痕跡調査が行われ,平面情報は収集・整理された. 
 そこで本研究においては,それらの成果を格段に前進させるため,以下の2 点を明らかにすることを試みる.

・大宮門と勤政殿によって構成される区域(勤政殿区域と称す)の発掘調査を行い,基壇の構造と耐久性を解明する.当該区域は,史料により宮殿の移築など大幅な改変が為されたことが判明しており,発掘調査の
遂行により阮朝初期の造営計画を実証的に知り得る可能性が高い.

・勤政殿区域の復原模型を制作する.阮朝前・後期に区分し,当該区域の変遷を模型製作を通じて考察する.模型製作では,部分模型を別途制作し,特に接合部の復原など架構の技法に関する考察と細部意匠の復原
が試みられる.

 当該研究の特色は,宮殿建築の構造・形式,細部意匠,伝統的技法の他,建築の本質に関わる建築理念,設計方法,その生産組織と施工技術に着目して,それらを解明・比較考察することによって,初めて得られる宮殿建築の生産プロセスを明らかにすることにある.一方,修復・保存の方法論と技術移転の確立には,現地の遺跡管理行政官−研究者−修理請負業者・職人が連携したより総合的なプログラムの開発が必須の課題であり,そのような観点に立脚した修復保存事業に資するよう本研究は計画されるものである.
 研究対象であるフエの歴史的建造物群は,ユネスコ・世界文化遺産にヴィエトナムの遺産としてはじめて登録され,1990年代を通じて文化財の保護行政が整備されていった.これらの建造物群(京城,歴代皇帝陵,儀礼施設)はフエに広域的に分布し,歴史的景観と自然環境が一体となって世界遺産としての価値が認められている.このことから都市計画的観点に基づくフエ市のマスタープランを策定し,歴史的景観や環境をどのように保全していくのかを予め考案する必要があり,本研究によって得られる成果は着実に整備事業に資するよう計画されている.

研究計画の必要性及び期待できる成果

 今日,都市の近代化に共通に見られる問題点として,急速な開発行為によってもたらされた固有な伝統文化の喪失が挙げられる.
 これらの文化の維持・継承・保存は,単に各国内の課題として解決されるものではなく,国際的な共同作業が必要なものが多々あるが,とりわけ,歴史的建造物等に代表される文化遺産の修復・保存事業には,よ
り総合的観点に立脚した研究体制が必要である.本研究では,このような現況の問題点を解決するためのケーススタディとして,フエの王宮を研究対象とした.
 以下に,本研究が強く望まれている理由及びその背景を記す.

・戦争終結後四半世紀を迎えたヴィエトナムは,ようやく政治的な安定と秩序の回復が見られるようになった.その一環として文化的事業を進める上での基盤が国内で整備され,既に保存事業が進行中である.
 その一方で,建築学的見地からの研究の歴史が浅いために遺跡の修復保存方法が確立されておらず,また,技術面においても適切とはいえない方法が用いられている事例が少なくない.このことから基礎的な学術成果に基づく方法論の確立が急務であり,本研究はその観点から十分寄与できる内容として計画されている.

・今日のフエ市の骨格を為す京城は,ヴィエトナムに現存する唯一の宮殿建築群を残した都市であり他に類例がみられない.当地は,災害等による遺跡の崩壊という危機的現状が報告される機会が多くなっており,緊急に処置すべき必要性が高い.

・フエ市は古都として,歴史的・文化的に豊かな自然環境と文化遺産の多くを残す地域であり,その存在は市民の精神的支柱となっている.いわゆるフエ文化圏の広がりはヴィエトナム全土に影響を与えている.

・乾成宮は,歴史的経緯からの重要性に留まらず,二度の大きな独立開放運動の激戦区として象徴される場であり,この結果,多くの宮殿建築が失われた.現地では乾成宮を再建するということは,ヴィエトナムに
平和が戻ってきたことを端的に表す行為として受け止められている.

 以上を勘案すれば,乾成宮の修復・保存は,現地の文化,とりわけ建築に最も精通した研究者を中心として,当地に最適な方法をもって行われるべきである.しかし,そのような人材が圧倒的に不足しているのが実状であり,長年の木造建築の研究実績に基づく調査方法及び修復保存技術を有した日本の研究者が技術移転を進めることは,今後のヴィエトナムにおける歴史的建造物の適切な修復・保存のために,そして,学術水準の向上のために極めて有意義なことであろう.
 そして,その交流の糸口が開かれたばかりのヴィエトナムの研究者との共同研究を行うことによって,現地における一層の研究の発展が期待できる.また,日本建築史研究にとっても,これまでの学術的蓄積を相対化して眺め得るという点で多大な寄与が期待され,「木割書」に代表される設計技術書による設計方法をアジア的広がりの枠組みの中で再評価することに繋がると考えたい.

国内外の研究状況

 ヴィエトナムの歴史的建造物に関する研究は,19世紀中葉のインドシナ植民地政策と密接不可分なものである.19 世紀後半から20 世紀前半にかけては,フランス極東学院によって調査研究が進められ報告書が刊行された.その後,ヴィエトナムを巡って国際政治の緊迫した状態が続いたため,断続的な研究報告となった.
 近年,改革開放政策(ドイモイ政策)を経て,ユネスコ主導の保存事業が進められ,その結果,国際協力に基づく修理工事が本格的に計画されるようになった.フランスは,劇場建築の修復事業を進め,カナダは,専門家を長期派遣し,防腐・防蟻処理の技術指導を行った.ポーランドは,壁体に残るレリーフの修復事業を進めて,これは98 年春に終了した.一方,我が国による活動としては,ユネスコ文化遺産保存日本信託基金からの拠出金をもとに王宮正門である午門の修復事業が行われた.その他,トヨタ財団によるフエ・明命帝陵右従祠の修理工事や昭和女子大学国際文化研究所による伝統的家屋の修理工事,東京大学による近代建築の悉皆調査などが挙げられる.しかし,このように国際的な活動が活発化するものの,当該研究のように再建計画に焦点を当てたものは皆無であり,その技術移転を国際協力の枠組み構成の中で行うことが嘱望されている.


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