本研究組織の母体となる早稲田大学アジア建築研究会におけるアジアの建築調査研究は1981年より始められた。スリランカの古代建築を嚆矢として以来,継続的に主としてタイ,インドネシアにおいて東南アジアの建築遺構の実測調査を進めてきた。フエ遺跡群を対象とした本研究の研究方法と計画は,そこで培われた研究実績の延長上にあり,当初よりアジアの文化遺産の保護に強い関心を寄せてきた。
現在は,このような基礎的研究が実際の修復保存事業に応用される段階に達しており,本研究代表者中川武は,日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)の専門技術総括責任者としてアンコール遺跡の修復保存事業に携わっている。
以下,本研究に直接関係する90年代初頭の準備状況とこれまでの研究の概要について記す。
1991年度
ユネスコ文化遺産保存日本信託基金からフエ王宮の正門であり儀式の場でもある午門の修復保存事業が計画され,その費用が拠出された。ヴィエトナム政府は専門家を内外から招聘しその結果,調査団を組織され,本研究代表者中川武が修復保存技術専門家の立場から参加した。その際,ハノイにおけるワーキンググループの開催,現地視察,現地組織との協議が行われ,文化部副部長ノン・クォック・チャン(当時)から国際共同研究の必要性についての提案及び要請があり,その具体的内容についての協議を行った。
1993年度
午門の現地組織主導による修復事業が一応の区切りを見せたので,ヴィエトナム政府から修復評価調査団の団長として研究代表者中川武が招聘された。調査の結果,ヴィエトナム人専門家の我が国での研修の必要性が指摘され,その具体的内容について協議された。
1994年度
1993年に採択された科研国際学術研究「アジアの歴史的建造物の修復・保存方法に関する基礎的研究 −南アジアと東南アジアの比較を通して−」(平成 5〜7年度,研究代表者:中川武)の2年目の研究計画に,フエ遺跡群の調査研究を盛り込み,王宮(皇城全域,含・紫禁城)の配置図作成を主とした測量を光学機器を使用して行った。
光波測定距儀による測量は,フエ遺跡保存センター(HMCC)の全面的な協力を受け,紫禁城内の宮殿建築の配置情報が初めて正確に捉えられた。また,現時点でのHMCCの事業の概要と将来的な計画の説明を受けた。
1995年度
ユネスコ文化遺産保存日本信託基金の拠出により,ヴィエトナム人専門家2名を三ヶ月間,我が国に招聘し,早稲田大学理工学部建築学科,奈良国立文化財研究所建造物研究室,眞木(大工棟梁・田中文男氏)及びその他の修理工時現場監理事務所の協力を得て実践的な研修が進められた。
文化財保存の基本的理念から具体的な修理保存技術に至るまで,個別の現場を通じて研修が行われ,そこで見聞した事柄はフエ遺跡群の修理工事現場において適用されつつある。
1996年度
文部省科学研究費・国際学術研究「ヴィエトナム・フエ・グエン朝王宮の復原及び修復・保存方法に関する基礎的研究」(平成8〜10年度,研究代表者:中川武・早稲田大学教授)が採択され,王宮および関連する建造物についての総合研究が本格的に展開され始めた。
夏期および春期に現地調査が行われ,主として王宮内の諸施設(紫禁城,奉先殿等)の配置測量,単体の宮殿建築である肇祖廟・興祖廟の実測などが遂行された。この調査に基づき,図面作成,寸法計画の分析が進められた。配置寸法計画としては基準格子を王宮の伝統的な計画方法を勘案しつつ設定し,その整合性を検証した結果,1丈あたり4240mmを造営尺度とした配置寸法計画が推定された。一方,単体の宮殿建築については柱径と柱間寸法の比例関係や主要な柱間相互の距離の逓減方法についての考察を進め,柱径に基づく単位長を前提とした平面計画方法について言及した。
1997年度
夏期および春期に現地調査が行われ,歴代皇帝陵の悉皆調査と王宮内の宮殿建築の実測を中心に,その他,装飾床タイルの残存状況を写真撮影によって記録し,それらの分類を進めた。また,修理工事現場で散見される建築部材の接合部(継手・仕口)の写真撮影,木匠道具の分類を進めた.その他,大南一統志などの史料の電子情報化を進め,各々の宮殿の変遷を史料から読みとり図表として整理した.
1998年度
皇帝陵の正殿の実測調査を行い,実測値の傾向を分析した.陵内の正殿の遺構尺どは,若干のばらつきがあるものの,1尺につき,380mm〜390mm程度の範囲に納まっている.その他,肇祖廟のスケール1/10の模型制作を行い,伝統的な施工手順に基づく復原考察を行った. |