本稿は早稲田大学アジア建築研究会がまとめた資料:「ベトナム建築大博覧会」(『スペースデザイン(SD)』1996年3月号)の「フエ」の項目を引用・編集したものです。
(その1)
ベトナム中部、ダナンから100kmほど北西にフエという小都市がある。南シナ海に注ぐ清流、香江の河畔に開けたこの街には、かつてベトナム最後の王朝、阮朝(グエン、1802〜1945)の都が置かれていた。
フエの市街は,香江を中心として北岸の旧都城を中心とする旧市街と、南岸のフランス植民地時代の建物が並ぶ新市街とに二分される。旧市街はヴォーバン式とよばれる多角形の城壁を廻した都城が占め、その外に鉄道と香江に沿って商業地域が連なる。特にドンバ市場の近辺はいつも賑わっていて、フエの中心となっている。駅、銀行、放送局などの都市機能は新市街に集中する。新市街には植民地時代の建築の他に近代建築も幾つか見られ,また最近は観光客の増加に伴いホテルの建設ラッシュとなっている。市街から南方の丘陵地帯には、香江上流に沿って歴代の皇帝陵や寺院が建ち並ぶ。
ベトナムは紀元前から中国の影響下にあったため、その歴史的な政治形態や文化は多く中国に倣ったものになっている。しかも中国と陸続きのため,その影響は日本に比べてはるかに強く、かつ連続的なものであった。ベトナム各地の寺院などの古建築も多くに中国建築からの影響が認められ、左右対称の配置計画や柱に煉瓦の壁を廻す手法は定型化している。特に皇帝の権力を象徴するフエの王宮や皇帝陵では、北京のそれらの模倣が行なわれている。しかし一方では、フランス式の城壁、ベトナム中部特有の屋根架構をした宮殿建築、様々な趣向を凝らした皇帝陵など、ベトナムとしてのオリジナリティも併せ持っている。そうした意味でフエはまさにベトナムの京都といえるであろう。
かつては偉容を誇ったこの王都も、度重なる戦争や時間の流れの中で廃虚と化し、今は市民生活の穏やかな背景となっている。19世紀に編纂された欽定『大南會典事例』や『大南一統志』等の史料は,宮殿や寺観について規模・歴史から装飾に至るまで事細かに記し、フエの往時の姿を今に知らせる。それらを参考にし、阮朝時代の建築を見てゆきたい。なお,フエの遺跡群は1993年ユネスコの世界文化遺産リストに登録されている。
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