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(その5)

紫禁城
 かつて皇帝の居住区であった紫禁城は皇城の中央、太和殿の背後にあり、東西342m南北308mの敷地は高さ4mの周壁に囲まれている。門は7つあり、南面中央に正門である大宮門、東面に興慶門と東安門、西面に嘉祥門と西安門、北面に1祥鸞門と儀鳳門を開く。大宮門から祥鸞門、儀鳳門に至るまでの紫禁城の中心軸上には勤政殿(カンチャンディエン)、乾成殿(カンタインディエン)、坤泰殿(コンタイディエン)が並ぶ。その左右には皇帝の多くの妾妃や皇子皇女の住んだ諸殿、閲是堂(えつぜどう)と呼ばれる劇場、紹芳園や御園と呼ばれる庭園などがあり、それらは皆回廊によって結ばれている。その回廊は東西の各門を通り、紫禁城外の嘉壽宮・長寧宮・幾暇園へとつなげられた。

 勤政殿は皇帝が政務を執とった建物である。「大朝の正殿」である太和殿に対して「常朝の正殿」とされ,日本における太極殿に対する紫宸殿に相当する。建物は柱間9間二棟造りで装飾なども太和殿とほとんど同じであるが、フランスの影響を受けたためか早くから窓にガラスが入れられ、後には列柱にランプが付き、玉座の前には洋式の椅子やテーブルが置かれた。官位の序列を示す石碑のある前庭の左右には左廡・右廡と呼ばれる脇殿があり、中には機密院や内閣などの直房が置かれ、当直の官吏が詰めていた。

 乾成殿は皇帝の寝所であり、日本で云う清涼殿に当たる。柱間11間三棟造りの大規模なものである。明命以前は中和殿と称し、ここより前の紫禁城の半分を乾成宮、後の半分を坤泰宮と云った。勤政殿は乾成宮の前殿に当たる。その背後の坤泰殿も同じく柱間11間三棟造りの規模を持ち、坤泰宮つまり後宮の中心となっていた。しかし後の啓定、保大の時代には規模が縮小され、その背後にフランス風洋館の建中殿と庭園が造られた。
 現在、大宮門をはじめ勤政殿や乾成殿などの諸殿は何れも存在せず、勤政殿跡に立つ龍壁の裏にはただ野原が広がっている。草に埋もれた基壇だけが、かつてここに大宮殿があったことを知らせる。

世廟
 紫禁城の前面右に位置する世廟はその領域を壁で南北に3区画し、その中央に阮朝歴代皇帝を奉った世廟を置く。世廟の周壁の南面には重楼を象かたどって煉瓦と漆喰で造られた3間の世廟門が開き、その奥の壁の中央には3層の顯臨閣が聳そびえる。顯臨閣の左右には同じく正面3間の峻烈門・崇成門が開くが、それらは2層で各々鐘樓と鼓楼になっている。世廟門と顯臨閣を抜けるとと世廟に達する。

 世廟は柱間13間二棟造りと横に長く、各柱間には歴代皇帝および皇后の祭壇が並ぶ。また左右の脇殿には同じく歴代の功臣が奉られている。世廟の正面,顯臨閣の下には明命帝が造らせた9つの大鼎(おおかなえ、重さ約2t、直径1.4m)が並ぶ。鼎とは青銅で造られた3本脚の鍋のことで、中国では古代から祭器として用いられた。9つの鼎には各々高・仁・章・英・毅・純・宣・裕・玄の名が刻まれ、またそれらの全身には鳥獣・植物・フエ近郊の風景・天体などの様々なモチーフが彫られている。

 世廟の後方には嘉隆帝の父母を奉った興廟がある。柱間7間二棟造り。これはさらに一周の壁に囲まれ、正面に世廟門と同形の興廟門を開く。この世廟区域は残存状況が良く、ある程度修復もなされ、午門や太和殿と並んでフエ王宮の見所のひとつになっている。

 また、太和殿を挟んで東側反対には同じ構成を持った歴代阮主を奉る太廟とその祖阮淦を奉る肇廟があるが、破損が著しい。

 その他の見所としては、皇城東門の顯仁門と長寧宮正門の長安門が挙げられよう。これらはともに煉瓦と漆喰による3間の門であるが、棟には多くの龍や鳥獣が載り、壁体や付け柱には陶片を使った色鮮やかなモザイクの装飾が施されている。特に長安門では付け柱に複雑なモールディングを伴う台座やコリント様式風な柱頭が見られたり、門の両脇に影壁様のうねる壁を続けたり、東西の様式を融合して華麗な造形を生み出している。

 嘉隆帝による創建後、阮朝の最盛期である明命、紹治両帝の時代、城内には主要な殿舎の他に多数の庭園と幾十もの遊楽のための樓閣が建てられ、まさに優雅な別天地を為していたという。しかし、フランス支配下の成泰(タインターイ)帝の時代になると建物も老朽化してきて、大規模な修復工事が行なわれると同時に、維持が難しく不必要な建物は多く撤去される。その後形式的なものであれ一国の王都として維持されてきた諸宮殿も、ベトナム戦争の戦火によって半数の建物は全壊、残る半数も相当の被害を被り、王宮は廃虚と化した。特に紫禁城内の被害は激しく、左廡、右廡、閲是堂、太平御覧書樓など若干が残るに過ぎない。

 戦後20年を経て設立された、フエ遺跡保存修復センターにより、ようやく午門、太和殿以下の修復事業が始まり、徐々に往時の姿を取り戻しつつあるが、早急に手を加えなければ倒壊してしまうであろう建物も多く残されているのが実状であり、海外からの資金・技術協力が強く求められている。

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勤政殿跡
勤政殿跡

勤政殿から太和殿を臨む
勤政殿から太和殿を臨む

世廟
世廟

大鼎
大鼎

顯臨閣
顯臨閣

顯仁門
顯仁門

左廡
左廡

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