|サイトマップお問い合わせ|English|
 

 

 

 

 




   


(その4)

【フエの王宮】

午門・太和殿・紫禁城・世廟

 嘉隆帝から保大帝まで13代の皇帝の鎮座した王宮は、都城の南辺中央に位置して、皇城(ホアンタイン)あるいは大内(ダイノイ)と呼ばれた。敷地は東西 642m南北568m、高さ6mの磚(焼成煉瓦)積みの城壁に囲まれる。その外側をさらに幅16mの濠が廻っている。門は四面に一つずつ開き、南を午門(ゴモン、写真)、東を顕仁門(ヒエンニャン)、西を彰徳門、北を和平門と云う。また城壁の東西北の各面中央には闕臺(けつだい)と呼ばれる物見台が張り出している。

 皇城内は都城と同じく縦横の街路によって区画される。南半中央は午門・太和殿(ディエンタイホワ)を中心とした行政区。その左右に各々歴代阮主を奉った太廟(タイミャオ)と歴代皇帝を奉った世廟(テミャオ)。北半中央は皇帝の居住区である紫禁城(トゥイキンタイン)。紫禁城の西側には歴代皇帝を奉った皇族専用の廟である奉先殿(ディエンフンティエン)と皇太后の宮殿延壽宮、さらに太皇太后の宮殿長生宮が並び、紫禁城の東側には内務府と幾暇園と称する庭園が配される。

 ベトナムの歴代王朝は儒教や陰陽思想の影響を強く受けているが、それは皇城の配置計画にも見ることができる。陰陽思想では南面して前と左を陽(公的・男性的・優)、後と右を陰(私的・女性的・劣)として捉えるが、これを皇城の配置計画に当てはめてみると

「太和殿(公的=前)⇔紫禁城(私的=後)」
「太廟(祖先=優=左)⇔世廟(子孫=劣=右)」
「世廟(公的=前)⇔奉先殿(私的=後)」
「他施設⇔延壽宮・長生宮(女性=右後)」
という配置構成の観念的体系が明確に現われてくる。

 これらの各区画にそれぞれ幾十という殿舎が建てられ壮大なコンプレックスを為していた皇城であるが、現存する建物は少なく、注目すべき建物はかなり限定されてくる。中心はやはり皇城正門の午門であろう。ベトナムのカラッとした空に黄や緑の屋根瓦が映える。午門を入ると方形の太液池たいえきちの向こうに皇城の正殿である太和殿が建つ。太和殿は決して大きな建物ではないが、やはり黄の瓦と漆喰塗の白壁が鮮やかである。太和殿の背後には、かつての勤政殿跡の基壇の両脇に左廡・右廡が建つ。このほか世廟区に建つ世廟と顯臨閣、紫禁城内の閲是堂と太平御覧書樓などが現存する主な建物である。建物のほかに注目すべきものとしては、太液池や太和殿の背後に建つ龍雲銅柱や日精門等の儀門(三間の鳥居状の門)、世廟に置かれた大鼎などのディテールであろう。また皇城の至る所に現われ、皇帝を象徴する龍の意匠にも注意して欲しい。そして現存する建築だけでなく、廃虚となった宮殿や樓閣を見て歩くのも一つの楽しみ方である。

午門
 午門は北京の紫禁城の午門に倣ったものであり、明命(ミンマン)帝は午門を造るために工匠を北京に派遣して学ばせたとも云われる。磚せんを積んだ凹型平面の台状構築物の上に、同じく凹型に並んだ五つの樓からなる五鳳樓をのせた午門は、北京のそれをフエの皇城の規模に合わせて両翼を短くしたミニチュア版である。しかし、朱の柱に金銀が塗られ黄や緑の瓦に彩られた南国の午門は、北京のそれとは異なった独特の華やかさを持つ。そして午門は皇帝専用の門である。闕臺に開けられた5つの門も、皇帝の輿のみが中央の門を通ることが許され、行幸行列の人員は象や馬も含めて4つの脇門を用いた。また午門は科挙の合格発表や観閲式などの宮廷の公式非公式な祝典のための舞台としても使われ、その際には皇帝は五鳳楼の黄色の瓦を葺いた中央の楼に座し、緑の瓦を葺いた両翼部に廷臣達が控えた。最後の皇帝保大(バオダイ)が退位を宣言したのもこの午門の臺上であった。1833年(明命十四年)建造。それ以前は皇城の他の面と同じように闕台があり、その左右に門が開かれていた。

太和殿
 太和殿には玉座が置かれ、即位式や外国使節の引見、元旦の朝賀など宮廷儀式の舞台となった。「大朝の正殿」つまり王宮の正殿である。柱間9間、2つの棟を連結する形で梁行き7間として、ほぼ正方形の平面をなす。最高級の鉄木(リム、非常に固い良質の材で格式のある建築に用いる)を使った80本に及ぶ朱塗りの柱には皇帝の象徴である金の龍が描かれ、玉座の天蓋には精巧な彫刻がなされている。大棟や降棟の上には漆喰とモザイクの色鮮やかな龍が載り、樋先にはガーゴイルならぬ怪魚の装飾が施される。前後の階段にもまた龍が彫られ、かつては皇帝専用を示すために丹に塗られていた。殿前の大朝儀と呼ばれる拝庭には正一品から従九品までの官位の記された石碑が並び、朝儀の際には百官が各々その定められた位置に整列した。この太和殿もまた午門と同じく北京のそれのミニチュア版ではあるが、登り梁による二棟造りの屋根架構と木彫やモザイク・漆喰細工による華麗な装飾というベトナム中部独特の建築様式で造られている点が注目される。フエの宮殿建築はみな太和殿と同様の構成を持つが、造り合いに設しつらえられた装飾天井には殿毎に様々な趣向が凝らされており、それらに施された彫刻絵様を比較して見て回るのも面白いであろう。1804年(嘉隆三年)建造。

←その3(フエの都城)   その5(フエの王宮2)→


古写真(午門)
古写真(午門)

午門
午門

太和殿(午門から)
太和殿(午門から)

太和殿
太和殿

太和殿(内観)
太和殿(内観)

怪魚の装飾
怪魚の装飾

屋根の装飾
屋根の装飾

Copyright (c) HERITAGE-WASEDA Institue Of Unesco World Heritage Waseda University All Rights Reserved.       このサイトについてサイトマップ